YOSHIの青春歌謡曲!!

〜青春時代に聴いた宝物の再発見〜

〜宇宙からの音楽伝道師による異邦人を超えた名曲!〜25時/久保田早紀(1980年4月)

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1980年4月21日に発売された久保田早紀のセカンドシングル(作詞:久保田早紀山川啓介、作曲:久保田早紀)。

久保田早紀というと、デビューシングル「異邦人」(1979年10月発売)がシルクロードをテーマとした異国情緒溢れる強烈なインパクトで、オリコンチャート1位、シングルレコードの売上総数144.5万枚*と、記録的な大ヒット!80年代初頭に一躍、時の人となった。だが、「異邦人」の原曲は、久保田早紀が中央線沿線の車窓から見える風景を題材として作った「白い朝」という全くイメージの異なる曲であったことが知られている。三洋電機のカラーテレビのCMに採用する際に、アフガニスタンで撮影されたCM映像に合わせるために、歌詞やアレンジが中近東風に大幅に変更され、タイトルも、79年にジュディ・オング「魅せられて」を大ヒットさせた音楽プロデューサー酒井政利の判断で、「異邦人」と改題され、「シルクロードのテーマ」というサブタイトルまで付されたものとなった。近年、久米小百合(元「久保田早紀」)は、当時のこのような原曲の大幅な変更に、驚きと戸惑いを禁じ得なかったと話している。

セカンドシングル「25時」は、作詞こそ山川啓介との共作であるものの、全体として久保田早紀のイメージ通りに作られたものであり、「異邦人」では見られなかった久保田早紀独自の神秘的で奥深い世界観が垣間見える。

初めてイントロを聞いた時は、宇宙と交信しているようなミステリアスなメロディと思ったが、「25時」というタイトルから、深夜の1時をテーマにした曲なのかなという漠然としたイメージしか持っておらず、あまり歌詞を吟味することもなかった。改めて、歌詞を眺めてみると、なかなか難解な上に、25時に関する歌詞も出てこない。

作詞:久保田早紀山川啓介   作曲:久保田早紀

「大陸の果ての空に 銀河の光 薄れて
ゆらゆらと 麝香色の 夜明けが訪れる
突然のつむじ風が 記憶の波をかすめて
遠い日も そして今日も 忘れてしまえたら

※ああ 愛の沈黙(しじま) 時を失くした 世界にひとり
ああ まだ私は 幻 さまよう あなたの巡礼 Mm※

モザイクの壁画の中 このまま埋(うず)もれたなら
いつの日かまたあなたが 通り過ぎるかしら

紫の地平線に 神々の声がひびく
”倖せを粗末にした 報いが来たのだ”と
過ぎた日に 帰れる馬車 さがしつづける哀しみ
不思議だわ 泣いてるのよ 少女の日々のように

(※くり返し)

朝焼けの廃墟に立ち やせた影 歩ませれば
さらさらと この身体が くずれてしまいそう」

 🎵大陸の果ての空に  銀河の光 薄れて  ゆらゆらと麝香色の夜明けが訪れる🎵

 荘厳で幻想的な光景が目に浮かぶ。麝香(じゃこう)色とは、どんな色かと思って調べてみたが、「麝香色」という言葉は見つからなかった。だが、「麝香」とは、ヒマラヤ山脈,中国北部の高原地帯に生息するジャコウジカの腹部にある香嚢(ジャコウ腺)から得られる分泌物を乾燥した香料、生薬の一種なため、「麝香色」とは、ジャコウジカの灰褐色の色だろうか?香り言葉を敢えて色として表現することに、意味の深みと作詞のセンスを感じる。

🎵愛の沈黙(しじま)  時を失くした  世界にひとり🎵

「しじま」とは、「無言・沈黙」と「静寂」の2つの意味がある大和言葉。文学的な表現の「しじま」を「愛」と組み合わせて、愛の終わりを表していると思われる。さりげなく高度なテクニックが使われており、感心させられる。

🎵モザイクの壁画の中  このまま埋もれたなら  いつの日かまたあなたが通り過ぎるかしら🎵

🎵朝焼けの廃墟に立ち  やせた影  歩ませれば  さらさらと  この身体が  くずれてしまいそう🎵

共に、シュールな超現実の心象風景か?特に、愛を失くした主人公の空虚な気持ちが廃墟のイメージと重なり合う。

歌詞の「大陸の果ての空」「紫の地平線」「夜明け」「朝焼け」などの表現から、深夜1時をテーマとしたものではない。むしろ、歌詞の主人公の愛と時を失くした心の中の非現実的な世界が25時ではないのか?

この歳になって40年も前に発売された「25時」を改めて注目してみると、「異邦人」よりも遥かに質の高い楽曲に思われ、21歳当時の久保田早紀の才能の素晴らしさに驚かされる(当然、山川啓介のサポートもあっただろうが)。しかしながら、「25時」は、オリコンチャート最高19位、売上総数7.7万枚*と「異邦人」のような大ヒットにはつながらなかった。自分もそうだが、この曲の素晴らしさを数ヶ月という短いスパンで十分に理解するには至らなかったのだろう…。

*1968-1997オリコンチャートブックによる

久保田早紀は、その後、独自の世界観を表現したシングル、アルバムを複数枚発売する。だが、自分のイメージで作ったものではなく、出来にも満足していなかった「異邦人」の虚構だけがどんどん独り歩きしていく。「異邦人」並みのヒット曲を期待する周囲の重圧に疲弊して、音楽を心底楽しめなくなり、自分の音楽の方向性を見失い、僅か5年程で芸能界から引退することに。現在は、教会音楽家久米小百合」として、全国の教会でコンサートや講演の活動を続けているらしい。

デビュー当時、宇宙の話が大好きで、UFOも何度も見たことが有ると話していた頃の久保田早紀は、宇宙からの音楽伝道師のようにも思える。売れた、売れなかったという一般大衆による短期間の評価だけでなく、音楽専門家などによる長期スパンの別の評価があれば、「25時」は「異邦人」を凌駕していたことだろう。 


久保田早紀「25時」

〜約半世紀振りに幻の岬発見?!〜おもいで岬/新沼謙治

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以前のブログで、新沼謙治の「おもいで岬」は、テレビでほとんど聞いたことがなく、幻の岬になってしまったのか?と書いた。

www.seisyunkayou.com

しかし、最近、たまたま付けたテレビで、新沼謙治が「おもいで岬」を歌っているではないか!!

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数年前に出演していた「夢コンサート」を見に行った時でも「おもいで岬」は歌っていなかったので、ホント、聴くのは久し振り。。。

爽やかで優しい歌声。デビュー時に比べて、多少荒々しさが無くなった感じもするが…。

半世紀近い時を重ねて、容姿と共に歌い方も、角が取れて丸くなってきたか?

失われた古代遺跡を発見した探検家の気分のよう(笑) 。


新沼謙治「おもいで岬」2020年

 

~30年後の自分に宛てた手紙?~お元気ですか/清水由貴子(1977年3月)

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1977年3月1日にCBSソニーよりリリースされた清水由貴子のデビューシングル。

1976年2月、日本テレビのオーディション番組『スター誕生!』の第16回決戦大会で、イルカの「なごり雪」を歌唱し、芸能プロダクション、レコード会社合わせて何と14社からスカウトのプラカードが上がる。この決戦大会には、後にピンク・レディーとなる根本美鶴代と増田恵子の二人もお揃いのオーバーオールを着用しフォーク曲を歌って合格していたが、清水由貴子は彼女らをおさえての堂々のグランドチャンピオンだった。

 野球で言えば、清水由貴子が複数球団競合末に入団したドラフト1位の大型新人、ピンク・レディーがドラフトの下位指名の無名新人と言ったところか。

 当時、新人賞レースの有力候補には、少しでもお茶の間の知名度を上げるため、その年の前半にデビューさせる慣行があったようだ。清水由貴子の場合、その年のデビューは準備不足のため見送られ、翌年の1977年3月1日に、作詞:阿久悠、作曲:三木たかしのゴールデンコンビで万全を期してのデビュー。

哀愁感漂う三木たかし独特のメロディーに、想いの人の健康を気遣う手紙のような内容の歌詞を載せ、自らもフォークギターを弾きながら歌うというスタイル。清水由貴子の甘い歌声と、素朴で優しい人柄が相まって、聴き手の心を惹きつける名曲。

 なお、下の動画は、一見フォークデュオのようだが、同時期(1977年3月25日)に「硝子坂」(作詞島武実、作曲宇崎竜童)でデビューした高田みづえと一緒に出演した時のもの。

作詞:阿久悠

作曲:三木たかし

「お元気ですか 幸福ですか お返事下さい 気にしています 

夜ふかしぐせは いけないのです 若さがどんどん なくなるのです 

私にとって あなたはとても とても大事な ひとですから 

お願いです お願いです お元気で そしてまた 逢いに来て下さい 

 

お元気ですね 幸福ですね お返事ないのは そうなのですね 

毎日何か 夢中になって 手紙を書くまが なくなるのでしょう 

私はだけど ちょっぴり不幸 不幸感じて 悩んでいます 

お願いです お願いです お元気で そしてまた 逢いに来て下さい 

 

私にとって あなたはとても とても大事な ひとですから 

お願いです お願いです お元気で そしてまた 逢いに来て下さい」

 この曲は、オリコンチャート最高30位、8.2万枚を売るスマッシュヒットとなった。しかし、全体的にまとまり過ぎて強いインパクトに欠けていたのか、『日本レコード大賞』の新人賞(5人枠)争いでは、清水健太郎高田みづえ、狩人の順で新人賞受賞が確定する中、続く受賞者を決める上位2名での決選投票で太川陽介に破れた後、最後の1枠を巡って榊原郁恵と再び決選投票となり、僅差で受賞を逃すこととなった。

一方、あまり期待されていなかった(笑)ピンク・レディーの場合は、合格から約半年後の1976年8月25日のデビューであり、新人賞レースを争うには遅すぎたにもかかわらず、「ペッパー警部」という斬新なタイトルと、大胆に太ももを開いたりする激しくセクシーなダンスで、その年の暮れに向けて一気に売上げを伸ばし、76年末の日本レコード大賞新人賞の5組にも滑り込む。翌77年に掛けても売れ続け、最終的には60万枚のロングヒットとなり、清水由貴子とは対照的な結果となった。

『スター誕生!』の決戦大会では、共にフォーク調の曲を選んで素朴なイメージの両者だったが、ピンク・レディーはデビュー時の大胆なイメチェンがハマったのに対して、清水由貴子の方は正攻法で行き過ぎたか…?

 「お元気ですか」の後も、コンスタントにシングルはリリースされていたが、これといったヒットには恵まれず、萩本欽一や、同じレコード会社の杉良太郎の後押しもあって、次第に活躍の場をテレビドラマやバラエティ番組に移していった。歌手としてはシングル10枚、アルバムを2枚リリース。

2009年4月、ショッキングなニュースが流れた。母親の介護疲れのためか、清水由貴子は自ら人生の幕を閉じてしまったのである。デビューから30年余り経過し、母親の介護以外にも、芸能界での仕事、所属事務所との関係、宗教等、心の奥に色々な悩みを抱えていたのだろう。

現在、改めて、デビュー曲の「お元気ですか」を聴いてみると、

🎵お元気ですか 幸福ですか

🎵夜ふかしぐせは いけないのです 若さがどんどん なくなるのです

🎵私はだけど ちょっぴり不幸 不幸感じて 悩んでいます

等、何やら意味深な歌詞が並んでいる。

そして、サビの部分の🎵お願いです お願いです お元気で

の懇願調の歌詞…

「お元気ですか」は、片想いの人に宛てた手紙ではなく、30年後の自分に対して健康を案じて問いかけた手紙か日記のようにも受け取れる。

しかし、阿久悠の歌詞は、何十年経っても奥深い。


清水由貴子「お元気ですか」

 

~6年経ったら正統派アイドル卒業!!~6年たったら/五十嵐夕紀(1977年4月)

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1977年4月、16歳のときに、渡辺プロダクションから「6年たったら」でアイドル歌手としてデビュー(発売元は東芝EMI)。同期デビューには、女性では榊原郁恵、高田みづえ香坂みゆきビューティペア、男性では渋谷鉄平、太川陽介、狩人、清水健太郎・・・ ライバルもとても多かった。

 デビュー当時は、都倉俊一司会の『レッツゴーヤング』(NHK)で「サンデーズ」のメンバーや、高島忠夫司会の『クイズ・ドレミファドン!』のアシスタントとなったのを始め、人気番組『ぎんざNOW!』『TVジョッキー』など様々なテレビ番組に出演し、爽やかな笑顔でお茶の間にもたちまち人気が浸透していったことを記憶している。

「6年たったら」の作詞は、結婚直後のユーミン(松任谷由実)、作曲は筒美京平という、デビュー曲としては普通考えられない超豪華な組合せ。この楽曲提供陣からも、デビュー時の期待の大きさが伺える。

 なお、当時、松任谷由実による五十嵐夕紀へのメッセージが以下の様に記されている。 ''スイートなルックスの中に健康的なすがすがしさを感じます。 笑顔がくったくなくかわいらしくて のびのびと成長してきたみたいですね。 6年たったら自分が心から気に入った歌を一生懸命歌っている様な 歌手になってほしいと思います。''(東芝EMI/邦楽宣伝部歌謡グループより出版された宣伝用ポートレートの引用)

 サビの♫6年たったら~6年たったら~わたしどうなるかしら♫のフレーズが口ずさみ易く、ずっと印象的に残っていたが、サビ以外は全く記憶になかった。今回、何十年振りかで通して聴いてみたが、流石はユーミン、春らしく彼女にぴったりの爽やかなイメージに仕上げていて、とても新鮮。また、歌もアイドルらしく甘い声質で、思った以上に巧い。

作詞:松任谷由実

作曲:筒美京平

「ウエディングドレスの特集なんてつまらない

キャリアウーマンという言葉もまるでピンとこないけど

あなたを待つ間 ひざしのベンチで

雑誌を読んでたら隣に腰かけた女の人のコロンが

なぜかなぜか気になったのよ

 6年たったら 6年たったら

わたしどうなるかしら

あなたと一緒に変わっていけたら

それがそれがいちばんうれしいのに」

当時の彼女の知名度から、オリコンで30位程度のスマッシュヒットだったかなと思って調べてみると、意外にも最高位120位と奮わず。その後、1981年までの4年間に計8曲シングルを出している。3rdシングル「第一印象」(作詞松本隆、作曲川口真)、4thシングル「えとらんぜ」(作詞松本隆、作曲吉田拓郎)、5thシングル「ワル!(泣くのはおよし)」(作詞松本隆、作曲都倉俊一)、6thシングル「恋人たちの季節」(作詞三浦徳子、作曲都倉俊一)はかなりの名曲。しかし、売り出し方に方向性が見えなかったのか、いずれも、オリコン100位にもチャートインしていない。そして、8thシングル「ホットリップス」では、禁断(?)のお色気路線に転じてしまう。さらに、デビューから7年後の1984年には、とうとう、日活ロマンポルノに出演し、アダルト路線に大転身!

流石の ユーミンも、デビュー作詞提供の7年後に、五十嵐夕紀がアダルトに転身するとは想定外だったろう。

同じく筒美京平がデビュー曲を手掛けた岩崎宏美の場合、阿久悠がデビューから3年間ずっと作詞を担当し、岩崎宏美の少女から大人への成長に合わせて歌詞をプロデュースした。

 ナベプロ発の正統派アイドルとしての期待されていた五十嵐夕紀も、阿久悠のような司令塔とともに、少女から大人へと変わっていけたら一番嬉しかったのではなかろうか?


五十嵐夕紀「6年たったら」

 

〜百恵伝説の始まりは、意外なほど地味に〜としごろ/山口百恵(1973年5月)

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73年5月にリリースされた山口百恵のデビュー・シングル。
作詞は、麻丘めぐみキャンディーズなどの70年代アイドルに多く提供した千家和也、作曲はピンク・レディーや「ジョニィへの伝言」「あずさ2号」など数多くのヒット曲を手掛けた都倉俊一。

山口百恵というと、同じ「スター誕生!」出身の森昌子桜田淳子と共に「花の中三トリオ」と呼ばれていたが、デビュー当時は、歌唱力抜群の森昌子、アイドルの資質に際立っていた桜田淳子と比べて地味でオーラもなく、人気・実力共に二人に大きく差を付けられてけられていたことを覚えている。

この曲は、デビュー当時14才だった彼女の「めざめ」をテーマとした曲。改めて聴いてみると、初々しく可愛い百恵の歌声が、汚れのない純粋な歌詞内容とビックリする程ハマっている!明るい正統派アイドルポップス風のサウンドは聴いていて心地良い。山口百恵の数多くのヒット曲の中でも5本の指に入る名曲だと僕は思う。

オリコンチャート最高37位と決して売れなかった訳ではないが、森昌子のデビュー曲「せんせい」が3位、桜田淳子の「天使も夢みる」が12位だったことに比べて、スタートダッシュに出遅れてしまった。地味な百恵の印象が先行してしまい、曲が埋もれてしまったと思っている。だが、次のセカンドシングル「青い果実」から同じめざめでも「性」の目覚めをストレートな言葉で歌う「青い性路線」に変更。歌詞のインパクトは絶大で、百恵は絶大な人気を獲得し、先行する森昌子桜田淳子に一気に追いつくことに…

デビューシングル「としごろ」の歌詞

♬ふたりの間に 美しい何かが生まれて来るみたい
私が私でなくなるの
手のひらに 涙をためてめざめてくる としごろよ♬

セカンドシングル「青い果実」の歌詞

♬恋した時に 躰の隅で別の私が 眼を覚ますの
大きな胸に 抱きとめられてきれいな泪 こぼすのよ♬

こうして2曲の歌詞を比べてみると、
「目覚め」で新しい自分が生まれてくるというテーマは同じでも、「青い果実」は具体的でストレートな歌詞だが、「としごろ」はやや抽象的な歌詞。

デビュー曲の「としごろ」は、当時の百恵の印象や歌詞にインパクトに乏しく、後に紅白歌合戦でトリを務める程、大化けする片鱗も垣間見れない。山口百恵伝説が意外なほど地味に始まった事は、今振り返ってみると、何とも興味深いね。

 


としごろ 山口百恵

 

 

~昭和歌謡史に燦然と輝く名曲!~バス・ストップ/平浩二(1972年9月)

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1972年9月1日に発売された平浩二の7作目のシングル(作詞:千家和也、作曲:葵 まさひこ)で、オリコンヒットチャート最高11位、オリコンセールス22.4万枚、累計売り上げ枚数80万枚を超える平浩二の代表曲。

バスの停留所を舞台とした主人公の切ない女心を平浩二がファルセットのきいた甘いハイトーンの美声で歌い上げている。

この曲がヒットしていた頃は中学1年だったが、バス停をテーマとした曲はそれまであまり無く(後に浅野ゆう子の『セクシー・バスストップ』や榊原郁恵の『バス通学』が発売されたが)新鮮で、下校時にバス停の前を通りながら、良く口ずさんでいたことを記憶している。同じ頃ヒットしていた千葉紘子の『折鶴』も良く歌っていたなぁ…

この『バス・ストップ』の作詞が千家和也であったことを知ったのは、最近の事。千家和也というと、麻丘めぐみキャンディーズ山口百恵等のアイドル歌手の作詞提供のイメージが強く、こんな男性歌手の歌う大人の内容の詞も作っていたとはちょっと意外だった。また、作曲は、以前ブログで紹介したミミ(ミミ萩原)の『おしゃれな土曜日』の葵まさひこ。

作詞:千家和也

作曲:葵 まさひこ

******************

バスを待つ間に 泪を拭くわ

知ってる誰かに 見られたら

あなたが傷つく

何をとり上げても 私が悪い

過ちつぐなう その前に

別れが 来たのね

 

どうぞ 口を開かないで

甘い言葉 聞かせないで

独りで帰る道が とても辛いわ

バスを待つ間に 心(気持ち)を変える

つないだ この手の温もりを

忘れるためにも

(トランペットソロの間奏)

・・・・どうぞ 顔をのぞかないで

後の事を 気にしないで

独りで開ける 部屋の鍵は重たい

バスを待つ間に 心(気持ち)を変える

うるんだ その眼の美しさ

忘れるためにも

*****************

 

♫バスを待つ間に 泪を拭くわ♫

    何と言っても、この歌い出しのファルセットが印象に残る。この曲は、プラターズの『Only You』を基に作られたらしい。言われてみると、♫バスを~♫のメロディーラインは、♫Only You~♫と似ている。

 

♫何をとり上げても 私が悪い   過ちつぐなう その前に    別れが 来たのね♫

   大人になって聞き返すとこれは不倫の内容だと理解。ヒットしていた当時は、何も分からずに歌詞を口ずさんでいたが(笑)…しかし、千家和也の詩はドラマティックで素晴らしい!

 

♫バスを待つ間に 心(気持ち)を変える♫

   バスを待っている時間は、どこかアナログ的。昔はバスの遅れで待ち時間が多少延びても気にせず、のんびり過ごしていた気がする。デジタル化された現代よりも心のゆとりがあったのかも…。

 

♫トランペットソロの間奏が、遠い昭和の時代に過ごした故郷へとタイムスリップさせる。

また、時折響く木琴の音色が切なさを増幅させる。

 

 この曲、元々は南沙織が歌うはずだったと聞いた事がある。そのせいか、歌詞が女言葉。仮に南沙織が歌ったとしてもそこそこヒットしたと思うが、これほど聴く人の心を打つ曲になったかどうか?日本人の感性に響く綺麗な旋律のメロディーと歌詞に、平浩二の甘い歌声と素晴らしい歌唱力に加え独特な歌い方による表現力が絶妙に重なり合って、何年経っても色褪せる事なく心にしみる昭和を代表する名曲が産み出されたのだと思う。

 

数年前に「夢コンサート」で平浩二の『バス・ストップ』を生で聴いた事があるが、昔と変わらぬ歌唱力に加えて、歌詞の一つひとつを心を込めて丁寧に唄っている姿が印象に残っている。これからも昭和歌謡史に燦然と輝くこの名曲を後世に伝えていって欲しいものだ。


平浩二 バスストップ Bus Stop/Koji Taira

~ストーブの芯の交換が曲の原点?~冬が来る前に/紙ふうせん(1977年11月)

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1977年11月1日に発売された「紙ふうせん」の8枚目のシングル。

国民的ソング『翼をください』で有名なフォークグループ「赤い鳥」のメンバーだった後藤悦治郎平山泰代は、「赤い鳥」解散直前に結婚して1974年からフォークデュオ「紙ふうせん」として活動。3年後にリリースされたこの『冬が来る前に』がオリコンチャート最高4位、45万枚の売り上げを記録する大ヒットに。

僕は、この曲を聞く度に何故か、渡辺真知子の『迷い道』の♫ひとつ曲り角ひとつまちがえて  迷い道くねくね~♫(作詞作曲:渡辺真知子)のメロディーがいつもセットになって頭の中をよぎっていた。たまたま、同じ冬の時期にヒットしたからなのだろうと思っていたのだが、ある時『迷い道』も発売日が1977年11月1日であり、『冬が来る前に』と全く同じであることが分かった。何という偶然!!(笑)

 

元々、二人は兵庫県立尼崎北高校3年の時同じクラスだったが、当時から平山泰代は男子生徒のアイドル的存在で、後藤悦治郎は、高嶺の花の彼女に声も掛けられなかったらしい。※1

そんな彼が、生涯のパートナーとして彼女をゲットするまでのエピソードがこの曲に秘められているという。※2

 

作詞:後藤悦治郎

作曲:浦野直

「坂の細い道を 夏の雨にうたれ   言葉さがし続けて 別れた二人

小麦色に焼けた肌は色もあせて   黄昏わたし一人 海を見るの

冬が来る前に   もう一度 あの人とめぐり逢いたい

冬が来る前に   もう一度 あの人とめぐり逢いたい

 

秋の風が吹いて 街はコスモス色   あなたからの便り 風に聞くの

落葉つもる道は 夏の想い出道   今日もわたし一人 バスを待つの

冬が来る前に   もう一度 あの人とめぐり逢いたい

冬が来る前に   もう一度 あの人とめぐり逢いたい」

 

♫坂の細い道を 夏の雨にうたれ   言葉さがし続けて 別れた二人♫

    港町神戸の山手にある動物園。坂の下には港が広がり、振り返ると六甲山を仰ぎ見ることができる。この部分の歌詞は、二人が22歳の頃この動物園でデートした時に、後藤が平山にプロポーズしたものの受け入れてもらえず、二人は気まずい雰囲気のまま動物園から坂道を下った帰り道の体験がベースになったらしい。※2

 

♫冬が来る前に   もう一度 あの人とめぐり逢いたい♫

   晩秋のある日、後藤が「冬が来る前にきれいにしないとアカンなぁ」と呟きながら、円筒形のボディのアラジンの石油ストーブの芯を取り替え、バンドのメンバーだった浦野直が先に仕上げていたサビのメロディーをピアノで弾いていたら「冬が来る前に」というフレーズがはまったという。※1

つまり、♫冬が来る前に、ストーブの芯替えよ♫→♫冬が来る前に   もう一度 あの人と…♫

サビの部分の美しいメロディーと歌詞は、ストーブの芯の交換によるものだったのか(笑)…

 

動物園でのプロポーズから数年後、「赤い鳥」のメンバー5人のうち3人が去っていき(後にハイ・ファイ・セットを結成)、二人だけが取り残された中で、後藤が「これからの人生、フィフティ・フィフティで一緒に生きて行きませんか?」と再度プロポーズ。平山も今度は承諾し、メデタく夫婦デュオの結成とあいなった。※1

 

空振りに終わった最初のプロポーズの後、二人が言葉を探し続けて降りた「坂の細い道」は、決して結婚への「迷い道」などではなく、チョッピリほろ苦い思い出の詰まった「青春の坂道」だったのではないだろうか?

 

※1  BSテレ東  2019年10月15日放送  「大追跡! 懐かしのあのスターは今?」による

※2 TAP the POP  季節(いま)の歌  冬が来る前に~40年間歌い続けてきた二人の絆と、思い出の坂道~佐々木モトアキ氏による


紙ふうせん「冬が来る前に」