YOSHIの青春歌謡曲!!

〜青春時代に聴いた宝物の再発見〜

〜のど飴で早められた?アイドル脱皮計画〜柏原よしえ/㐧二章・くちづけ(1981年10月)

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「㐧二章・くちづけ」は、1980年10月25日に発売された柏原よしえの3枚目のシングル。

柏原よしえは、1979年(昭和54年)秋に日本テレビ系『スター誕生!』にて清水由貴子の「お元気ですか」を歌って合格。その後グランドチャンピオンになり、14歳(中学3年生)の時にシングル「No.1」でデビュー。なお、本名は「かしはら」と呼ぶ。

1980年デビューといえば、松田聖子河合奈保子岩崎良美などと同期。この中でも、柏原は人気番組『スター誕生!』のグランドチャンピオンであり、当時のキャッチフレーズ※から見ても、周囲の期待は高かった。このため、スタ誕先輩の桜田淳子岩崎宏美のように、阿久悠プロデュースによる「アイドル育成計画」が練られていたように思われる。

※「ちょっと大物、夏ひとりじめ。よしえはNo.1。」

デビュー曲「No.1」(80年6月1日発売)、2ndシングル「毎日がバレンタイン」(同年9月5日発売)の作詞はいずれも阿久悠が担当し、いかにもアイドルらしいタイトルで、アイドル路線の滑り出しは順調。

だが、2ndシングルが発売された翌月の同年10月、すなわちデビューから僅か4か月後に、もうアイドル脱皮とも思える「㐧二章・くちづけ」が始まってしまう…

ちなみに、桜田淳子の場合、この「㐧二章・くちづけ」に対応するのは、出だしの「口づけ」の歌詞が印象的な「はじめての出来事」と思われるが、デビューから1年半以上も経った8枚目のシングルである。

アイドル歌手としてのイメージが定着する前の時期で、しかも、2ndシングルから僅か1か月足らずでの3rdシングル発売は、常軌を逸しているように思う。

これは、本楽曲がのど飴「コルゲンコーワトローチ」のCMソングに採用されたことに関係しているのかも知れない。

このCMでは、柏原よしえが左右の人差し指を合わせて「好~き♪好き・好き・好き・透きとおぉ~った時間のなか~で~」と本楽曲を歌い、トローチを持って「喉がスッとするから好き!コルゲントローチ」と宣伝するもので、当時テレビで何度も流れており、やたらと印象に残っている。また、この楽曲は、1980年デビュー新人賞レースの各音楽番組で披露されることも多かった。このためか、柏原よしえの初期の代表曲として、実際のオリコン順位※※よりも、ずっとヒットしていた印象が強い。

※※オリコンチャート最高49位、シングル売上数4.5万枚(1968-1997オリコンチャートブックによる)

作詞・作曲は、「時の過ぎゆくままに」・「勝手にしやがれ」・「サムライ」・「ダーリング」・「カサブランカ・ダンディ」等の70年代沢田研二の大ヒット曲を生み出した、阿久悠大野克夫コンビが担当。この沢田研二の最強のコンビが80年代にアイドル歌手の楽曲も提供していたのはちょっと意外だったが、今聴いてもなかなかの名曲だと思う。

作詞:阿久悠、作曲:大野克夫

「好き 好き 好き 好き   透きとおった時間の中で

自然に流れて行くのが 好き 好き

ラジオのボリュウムを少ししぼって   夜の気配(けはい)を部屋に入れたの

私がもう少しポップであったら    それで全(すべ)てがきまるでしょうが

How to love How to kiss   第二章 くちづけ アアア…

How to love How to kiss   第二章 くちづけ アアア…

 

好き 好き 好き 好き   透きとおった時間の中で

自然に流れて行くのが 好き 好き

初めてこの部屋に入れたあなたは   少し緊張してたみたいね

いつもは悪ぶったこともいうのに   いい子ぶったり それがカワユイ

How to love How to kiss   第二章 くちづけ アアア…

How to love How to kiss   第二章 くちづけ アアア…

好き 好き 好き 好き   透きとおった世界を見つめ

やさしく揺られているのが 好き 好き

How to love How to kiss   第二章 くちづけ アアア…

How to love How to kiss   第二章 くちづけ アアア…」

歌詞については、彼を自分の部屋に初めて入れた後は、How to本で色々勉強した知識よりも、自然の流れのままに身を任せるのが良いという意味だと解釈。 

その後、柏原よしえは、7枚目のシングル「ハロー・グッバイ」(81年10月発売、アグネス・チャンの75年シングル・B面のカバー曲、歌詞のモデルは南こうせつ実家の喫茶店)が約40万枚売上げてブレイクを果たす。翌年の82年10月には、シングル「花梨」(作詞作曲:谷村新司)の発売と同時に、本格的にアイドル脱皮宣言して本名と同じ柏原芳恵に改名。

当時の皇太子浩宮様も大ファン。その一方で、''仙台空港こけし事件''のような脱アイドルを裏付ける事件も…

さらに、「春なのに」(83年1月発売)、「カム・フラージユ」(83年12年発売)、「最愛」(84年9月発売)など、中島みゆきが書き下ろした作品を中心にヒットを重ね、80年代前半の間にトップ10入りした楽曲は何と18作品!いずれも「㐧二章・くちづけ」以降である。ちなみに、桜田淳子は「はじめての出来事」以降にトップ10入りした楽曲は13作品。

柏原よしえの場合、早めのアイドル脱皮計画が結果的には功を奏したようだ。 


www.youtube.com

〜オリビアが運んできた春のそよ風?〜春の予感-I've been mellow-/南沙織(1978年1月)

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「春の予感-I've been mellow-」は、1978年1月21日に発売された南沙織通算25枚目のシングル(発売元はCBSソニー)。

本楽曲は、シンガーソングライターの尾崎亜美が他のアーティストに楽曲提供した初めての作品にあたる。なお、尾崎は同年11月5日に杏里に「オリビアを聴きながら」の楽曲も提供している。

「春の予感-I've been mellow-」は、資生堂・春のキャンペーン・ソングに採用され、東京音楽祭ゴールデンカナリー賞作詞賞を受賞。オリコン最高25位、売上枚数7.6万枚のスマッシュヒットとなった※。

※1968-1997オリコンチャートブックによる

この曲を初めて聴いた時、曲名と歌詞にある"mellow"が気になり、オリビア・ニュートン・ジョンの「そよ風の誘惑」が頭の中をよぎったことを覚えている。

「そよ風の誘惑」(1975年1月発売)には、"Have you never been mellow(穏やかなひと時を過ごせている?)"という問いかけのような歌詞があり、「春の予感」の「I've been mellow(私はここのところリラックスしているよ)」の歌詞がそれに対するアンサーのように思えたからである。

作詞・作曲・編曲:尾崎亜美

「ひにくなジョーク追いかけるのは  もうおしまいにしましょう

頬杖つく二人のドラマ  ワインに揺られて

春の予感 そんな気分  時を止めてしまえば

春に誘われたわけじゃない

だけど気づいて  I've been mellow

 

グラス越しにあなたの視線  感じて心波立つ

今なら素直にあなたの胸に  飛びこめそうなの

春の予感 そんな気分  いつもと違うでしょう

春に誘われたわけじゃない

だけど気づいて  I've been mellow」

 尾崎亜美が杏里に提供した「オリビアを聴きながら」の「オリビア」とは、「そよ風の誘惑」を歌っていたオリビア・ニュートン・ジョンのことであり、当時、尾崎亜美は曲作りにあたってオリビア・ニュートン・ジョンの影響を受けていたものと思われる。

同じオリビアの影響を感じさせる両曲であっても、「春の予感-I've been mellow-」は恋愛のプロローグ感を漂わせているのに対して、「オリビアを聴きながら」は恋愛のエピローグを感じさせ、両者が真逆な物語となっているのが興味深い。

 久し振りにこの曲を聴いてみて、そよ風に靡いているような南沙織の美しい髪が印象に残るとともに、歌い方が普段の南沙織と違うことが気になった。2006年当時の本人の解説によると、レコーディングでは「沙織節」にならないよう歌い方を厳しく指導されたらしい。

 穏やかな春の陽気に包まれ、そよ風とともに彼の胸に飛び込もうとする可愛い主人公の女性を演じようとしていたのかもしれない。


南沙織「春の予感」

〜キッズソングの裏に隠された大人へのメッセージソング?〜およげ!たいやきくん/子門真人(1975年12月)

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 「およげ!たいやきくん」は、フジテレビ系子供向け番組『ひらけ!ポンキッキ』のオリジナル曲として1975年12月25日にキャニオン・レコードから発売され、初登場から11週連続で1位を記録。トータル売上枚数は453.6万枚に達し、オリコン歴代シングル盤売上1位を誇る。

この曲を歌った子門真人はこれ程のメガヒットになると思わずレコード会社と買取契約を結んでしまったため、売上げに応じた歌唱印税は支払われず、僅か5万円の支払いにとどまったのは有名な話。

子門真人は、当時、特撮テレビドラマ『仮面ライダー』の主題歌や、SFアニメ『科学忍者隊ガッチャマン』の主題歌など、幾多ものアニメソング・特撮ソングを歌い上げて、次々とヒットを飛ばしていた。「およげ!たいやきくん」も、アフロヘアーに丸メガネという出で立ちに似合わぬ、歯切れの良い二枚目的な声が印象に残っていたが、自分では単なる子供向けソングと思っており、歌謡曲とは見なしていなかった。※

むしろ、同時期にヒットしていた太田裕美木綿のハンカチーフ」が代表的な昭和歌謡として好きだったのだが、週間オリコンランキングで「およげ!たいやきくん」に勝てず、いつも2位止まりで悔しく思っていたことを覚えている。

当時は、消費税はまだ導入されておらず、代わりに物品税があって、生活必需品以外の贅沢品には5~30%税金が掛けられていた。「およげ!たいやきくん」が物品税法上、課税対象の歌謡曲扱いか、非課税の童謡扱いかで大騒動になったが、1976年2月に国税局により童謡であるとの正式判断が出されたため物品税は免除された。物品税上も歌謡曲では無かったことになる。

 さて、ここからが本題であるが、「およげ!たいやきくん」が、ここまで爆発的な大ヒットを飛ばしたのは、単なる子供向けソングや童謡ではなく、その子供たちの親の「団塊の世代」にも共感を呼んだことにあるようだ。「団塊の世代」とは、出生率が急上昇した第1次ベビーブームの昭和22年(1947年)~24年(1949年)生まれで、3年間の出生数は800万人を超えていた。「およげ!たいやきくん」がヒットした1976年当時、この世代は30歳手前で、日本の未来を支えるサラリーマンとしてモーレツに働かされていた。歌詞は、そんなサラリーマンの心境を代弁した内容にも読み取れる。

すなわち、「およげ!たいやきくん」は、発売当時、第2次ベビーブームの「団塊ジュニア」(1970~75年生まれ)の子供達だけでなく、その親の「団塊の世代」の大人にもメッセージを送っており、第1次ベビーブームと第2次ベビーブームの双方の大きな人口層に訴えたことが大ヒットの要因ではないだろうか。

作詞:高田ひろお   作曲:佐瀬寿一

「まいにち まいにち ぼくらは てっぱんのうえで やかれて いやになっちゃうよ→会社の歯車としての立場に嫌気がさすサラリーマンの心境
あるあさ ぼくは みせのおじさんと けんかして うみに にげこんだのさ→上司と喧嘩して会社を辞めてしまう
はじめて およいだ うみのそこ とっても きもちが いいもんだ→脱サラし、自分の力で自由に生きる生活を送る
おなかの アンコが おもいけど うみは ひろいぜ こころがはずむ→借金や養わなければならない家族の負担があるが、自由を謳歌する
ももいろサンゴが てをふって ぼくの およぎを ながめていたよ→飲み屋の女の子たちが新たな生き方を応援してくれる
まいにち まいにち たのしいことばかり なんぱせんが ぼくの すみかさ→会社務めでは味わえなかった楽しさがあるが、安アパートに住む
ときどき サメに いじめられるけど そんなときゃ そうさ にげるのさ→借金取りには逃げながら、処世術を身につける
いちにち およげば ハラペコさ めだまも クルクル まわっちゃう→ただし、生活していくのは簡単ではない
たまには エビでも くわなけりゃ しおみず ばかりじゃ ふやけてしまう→たまには良いものを食べないと体を壊してしまう
いわばの かげから くいつけば それは ちいさな つりばりだった→投資話のような罠に引っ掛かってしまう
どんなに どんなに もがいても ハリが のどから とれないよ→やはり、運命には逆らえない

はまべで みしらぬ おじさんが ぼくを つりあげ びっくりしてた

やっぱり ぼくは タイヤキさ すこし こげある タイヤキさ→所詮、会社組織の中でしか生きられない人間だと悟る
おじさん つばを のみこんで ぼくを うまそうに たべたのさ」→悲しい結末で終わり、現実の残酷さを痛感する

曲を 改めて聴いてみると、この悲しい結末を暗示するような哀愁漂う切ないイントロが心に染み入る。

たいやきは、あくまでも食べられてしまうもので、結局、たいやき以外の何者にもなり得ない。主人公も、所詮、サラリーマンとしてしか生きてゆけないということなのか…

当時は今とは異なり、終身雇用が当たり前の時代。サラリーマンにとって「会社」は「寄らば大樹の陰」で居心地の良い場所。食べられる、という悲しい結末も、脱サラしても無理、会社の中でしか生きられない、という現実の厳しさを教えていたのだろうか。

サラリーマンの悲哀、人生の悲哀を感じさせる、実に深みのある歌といえる。 


子門真人「およげ!たいやきくん」

 なお、「およげ!たいやきくん」のアンサーソングとして、山本リンダによる「私の恋人、たいやきくん!」(作詞:中山大三郎 作曲:穂口雄右 編曲:あかのたちお)も発売されている。

下の動画は、「およげ!たいやきくん」を歌い終えた子門真人とのツーショット映像である。

歌詞は、海に飛び出したたいやき君を追って、恋人のたいやきさんが海に出ていくという展開から始まる。最後は、しっぽが切れてしまって結局たいやき君に会えないたいやきさんが、たいやき君の末路を知って「おじさん私もすぐに食べてよ。お腹の中で会えるから」という、こちらも哀しく切ない結末である。


山本リンダ「私の恋人、たいやきくん!」

〜拓郎の青春の思い出までも運んでしまった街〜風の街/山田パンダ(1975年6月)

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1975年6月23日に発売された、山田パンダ(元「かぐや姫」)のシングル。本曲は、1975年に放送されたTBS系テレビドラマ『あこがれ共同隊』の主題歌として制作された。 

あこがれ共同隊

このドラマは、当時にわかに脚光を浴びはじめた東京の原宿・表参道を舞台に、現代(当時)の若者たちの青春の生きざまを描いたもの。主人公の八田広介(郷ひろみ)は、ファッション雑誌を読んで一流デザイナーを目指している。畠山竜也(西城秀樹)は酒屋の息子。不治の病に冒され、ジョギング中に発作を起こし、池にはまって命を落としてしまう(第7話までの出演)。畠山竜也の恋人役として桜田淳子がドラマ初主演。第1回には山口百恵もゲスト出演した。主題歌を歌った山田パンダも、原宿のジャズ喫茶(ペニーレイン)のマスター役でレギュラー出演。また、本曲の作曲者である吉田拓郎を始め、南こうせつ伊勢正三、イルカ、りりィ、かまやつひろし等、当時の人気フォークソング・アーティストも多数ゲスト出演した。

新御三家」と「花の高二トリオ(当時)」の夢の共演

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信じられないような豪華キャスト

出演:郷ひろみ西城秀樹桜田淳子山口百恵(第1回のみ)・三田佳子森本レオせんだみつお田中邦衛黒柳徹子長門裕之大和田伸也、・シェリー ・浅田美代子・ 高橋昌也 ・黒沢久雄 ・常田富士男山田パンダ吉田拓郎・加藤小夜子・玉川良一etc.


風の街「あこがれ共同隊」

茶店「ペニーレイン」は、『原宿ペニーレイン』

「あこがれ共同隊」の中に毎回登場する喫茶店「ペニーレイン」は、『原宿ペニーレイン』。ビートルズの曲を店名にし、常にビートルズの曲が流れ、フォークシンガーやファッション関係者、アーティストといわれる人たちが多数集まることで知られていた店だ。なお、『ペニーレイン』はその後、客層の変化などに伴い、その役割を終えたかのように1990年に閉店したが、2006年に、同じ建物内の「ライムライト」をリニューアルし、再オープンしている。

f:id:YOSHI88:20201113131455j:plain現在のペニーレイン

山田パンダ「風の街」

「あこがれ共同隊」の主題歌、山田パンダ「風の街」(作詞:喜多條忠、作曲:吉田拓郎、編曲:瀬尾一三)は、1970年代前半の人気アイドルスターなどが多数出演した話題性もあって、ヒットチャート20位以内にランクされるスマッシュヒットを飛ばした。※

また、本曲の作曲者吉田拓郎は、翌年の1976年に制作したオリジナルアルバム『明日に向かって走れ』にてセルフカバーしている。

なお、余談だが、ソロデビュー前の山下達郎は、山田パンダが歌う「風の街」のレコーディングにバックコーラスとして参加している。この時、この曲のプロデューサー・吉田拓郎にコーラスの歌唱指導をされて以来、拓郎とは一回も口を聞いたことがないと話している。

オリコン最高19位  売上枚数12.1万枚(1968-1997オリコンチャートブックによる)

作詞:喜多條忠   作曲:吉田拓郎   編曲:瀬尾一三

「道のむこうで 手を振った 大きな声で サヨナラ言った

あいつをふと 思い出す 今も元気で いるだろか

白い仔犬を 抱きあげる 君はちょっぴり 幼く見える

表参道 原宿は

なつかしすぎる 友達や 人に言えない 悲しみすら

風が運んで しまう街

 空に昇って 消えてゆく 子供の赤い 風船一つ

遠い昔の 思い出が 空にポツンと 消えてゆく

僕の名前を 呼ぶ時の 君はちょっぴり 大人に見える

表参道 原宿は

なつかしすぎる 友達や 人に言えない 悲しみすら

風が運んで しまう街

 なつかしすぎる 友達や 人に言えない 悲しみすら

風が運んで しまう街」

🎵表参道・原宿は〜🎵

 10代の頃、この曲や水谷豊の「表参道軟派ストリート」(作詞:阿木燿子・作曲:宇崎竜童、1978年3月発売)を聴きながら、東京の表参道や原宿に漠然とした憧れを抱いていた。

🎵子供の赤い風船一つ🎵

 「赤い風船」と言えば、ドラマにも出演した浅田美代子の唄を思い出すが、僕は、同じ喜多條忠の作詞で、新御三家のもう一人野口五郎が歌っていた曲を思い出した。

曲名は、「風の街」ならぬ、「風の駅」。途中に「赤いサンダル」が出てくる。以前、ブログでも取り上げた。

www.seisyunkayou.com

 🎵なつかしすぎる友達や人に言えない悲しみすら風が運んでしまう街〜🎵

吉田拓郎は、『原宿ペニーレイン』で、仲間たちと会って酒を交わし、青春や人生について語り合った。ペニーレインは、自分のちっぽけさ、無力さを理解した上で、酒を飲みながら、ちょっとだけ意地を張り通せる自由な空間だった。

吉田拓郎は、「ペニーレインでバーボンを」(1974年)で、♪原宿ペニーレインで飲んだくれている。ペニーレインでバーボンを〜♪と歌い、世の中に対する屈折した思いを吐露している。

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吉田拓郎が愛したペニーレインだったが、原宿界隈の街の変化はやたらと早く、1977年には歩行者天国が開始され、80年頃には竹の子族も誕生した。街の姿が一気に変わり、街全体がキッズタウン化してきた。

10年後の1984年に、吉田拓郎は、「ペニーレインへは行かない」という曲をリリースした。

♪懐かしさだけを追いかけたって  君の失ったものは帰らない。こぶしをふるわせバーボンをあおっても わかってもらえない切なさが残るだけ♪

 ♪僕が知っている風景はいまはもう 原宿あたりにも 心の中にもない。だから だからペニーレーンへは もう行かないよ♪

と自分の無力感を歌い、原宿の街と決別した。

還暦を過ぎた今、改めてこの曲を聴いて人生を振り返ってみると、サビの「懐かし過ぎる友達や人に言えない悲しみすら風が運んでしまう街」の歌詞が心に染み入り、懐かしさと切なさが入り混じった複雑な気持ちにさせられる。

久しぶりに表参道・原宿の街を散歩してみたが、昔よく行った街角のバーは、外資の大型店舗にビル毎建て替えられ、お気に入りの店は跡形もなく駐車スペースと化し、行きつけのレストランはコロナ禍で閉店し画一化したチェーン店になっていた。昔の頃のようなう若者たちを惹きつける何かが失われ、抜け殻だけが残った街のように思えた。

この街は、「懐かし過ぎる友達」や「人に言えない悲しみ」だけでなく、青春時代の思い出までも何処かへ運んでしまった街なのか…


山田パンダ - 風の街

 

〜3人による交響曲は永遠に〜哀愁のシンフォニー/キャンディーズ(1976年11月)

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「哀愁のシンフォニー」は、1976年11月26日に発売されたキャンディーズの12枚目のシングル(作詞:なかにし礼、作曲:三木たかし、編曲:馬飼野康二)。

デビュー以来続いてきたアイドル路線の曲調とは全く異なり、切なく格調高いバラードで、初めてテレビで見た時、かなりの衝撃を受けた。

オリコン最高12位、売上枚数22.8万枚*と、キャンディーズのシングルの中では目立ったヒット曲とは言えないが、隠れた名曲的存在で、自分の中では、キャンディーズで一番好きな曲。

*1968-1997オリコンチャートブックによる

当時は高校生だったが、キャンディーズ3人の中ではランのファンだったこともあって、ランのソロのパートを歌っていた時の表情だけが妙に印象に残っている。 


キャンディーズ「哀愁のシンフォニー」

この動画は、シングル発売前に出演した夜のヒットスタジオ(同年11月15日放送)からのもの。

改めて見ると、バラード曲の割には、イントロや歌の合間に大きな動きを伴う振りが入っている。

特に、ランのソロパートが始まる前に、スーとミキが一旦ランの前に出てランを隠した後、離れる動きがある。ランによるステージの幕が上がるようにも見えて、なかなか凝った振り付けだが、その後の他の動画では省略されており見られず、今では貴重な振り付けである。 

作詞:なかにし礼、作曲:三木たかし、編曲:馬飼野康二

「あなたの目が私を見て 涙うかべてたその顔がつらい

白い霧が二人の影を やさしくつつんでいたわ

私の胸の奥のみずうみにあなたは

涙の石を投げた  愛の深さにおびえるの  ああ

※こっちを向いて涙をふいて

あなたのこと愛せるかしら

なんとなく恐い※

あなたの目がぬれているのを  見たの初めてよ美しいものね

白い霧の遥かなかなた  朝日がもえてるみたい

あなたの風のような気まぐれが悪いの

遊びと恋の区別  まだまだ私つかないの  ああ

こっちを向いてやさしく抱いて

あなたのこと愛せるかしら

なんとなく恐い

(※くり返し)」

改めて歌詞を見てみると、彼の涙を浮かべた愛の告白を受け入れるかどうか迷っている主人公の女性の心境が綴られているようだが、「哀愁のシンフォニー」の曲名との関連性が不明である。また、何故、彼が涙を浮かべているのかも分からない。

実は、この曲の原型となった初期バージョン(同じクレジット(作詞作曲編曲者)で、歌詞と曲の一部だけ異なる)の「霧のわかれ」という曲があり、2008年9月3日発売の『キャンディーズ・タイムカプセル』に、ボーナストラックとして収録されている。


キャンディーズ 霧のわかれ  歌詞 字幕入り

こちらの曲だと、「霧のわかれ」という曲名と歌詞の具体的なストーリーがリンクしており、また、彼の涙の訳も理解できる。しかし、歌詞の内容がストレートで、別れのイメージが強くなり過ぎたため、歌詞の一部を変更し影響力を弱めて曲を重視した「哀愁のシンフォニー」となったのではないかと思う。

「哀愁のシンフォニー」では、哀愁を帯びたメロディー展開や、「ダバダー」のスキャット、ソロ・ユニゾン・3声和音とバラエティーに富んだ歌唱、バックの様々な音色による演奏、イントロや歌の合間の振り付けなど、色々な要素が混じり合ってシンフォニー(交響曲)と言えるようなパワーを発揮し、キャンディ-ズの楽曲の中でも特に歌謡曲らしい仕上がりの名曲になっていると思う。 

だが、3人によるこの交響曲は、もう新たには見られない。もう一度、あの頃の青春時代に戻りたいと思うのは僕だけだろうか?  

〜幸せの重さはスプーン1杯のシュガー?〜ひとり歩き/桜田淳子(1975年3月)

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1975年3月5日に発売された桜田淳子の9枚目のシングル(作詞:阿久悠、作曲:筒美京平)で、同年4月26日に公開された初主演映画「スプーン1杯の幸せ」の主題歌。

桜田淳子と言えば、「スター誕生!」の予選大会で番組史上最高得点となる573点(合格ライン250点)をたたき出し、第4回決戦大会でも番組史上最高の25社から獲得意向のプラカードが上がり、審査員からも圧倒的な評価で最優秀賞(グランドチャンピオン)を受賞した伝説を持つ。

1973年2月25日に「天使も夢みる」(作詞:阿久悠、作曲:中村泰士)で歌手デビューしてオリコンチャート最高12位の好スタートを切り、3枚目のシングル「わたしの青い鳥」(作詞:阿久悠、作曲:中村泰士)で第4回日本歌謡大賞放送音楽新人賞、第15回日本レコード大賞の最優秀新人賞を受賞。そして、8枚目のシングル「はじめての出来事」(作詞:阿久悠、作曲:森田公一)で、ついにオリコンチャート1位を獲得!

「ひとり歩き」は、「はじめての出来事」に続くシングルで、こちらもオリコン最高4位、売上34.1万枚の大ヒット。

「スター誕生!」の審査員だった阿久悠は、桜田淳子に惚れ込んで、デビュー以来ずっと作詞を担当し、桜田淳子の年齢的・内面的成長に合わせた楽曲の世界観を構築している。

デビュー曲からそれまでのシングルのタイトルを見ると、「天使も夢みる」「天使の初恋」のような純真無垢な「天使」のイメージから、「わたしの青い鳥」「花物語」「黄色いリボン」を題材とした純情少女路線を経て、出だしの「口づけ」の歌詞が印象的な「はじめての出来事」で少しだけオトナの匂いを漂わせ、「ひとり歩き」で失恋を経験させて、徐々に大人への階段を登っていく。また、この曲が主題歌とされた映画「スプーン1杯の幸せ」では、桜田淳子演じる高校生が当初反発していた部活動の先生に対して途中から初恋だと気づくが、成就せずに失恋するストーリーとなっており、この曲の歌詞ともリンクしている。

作詞:阿久悠、作曲:筒美京平

「涙という字を書いて ちぎって窓から捨てます

もうしばらく君と 逢いたくないのです

恋は今うしろ姿で 私の前から 消えて行きます

恋するよろこびのあと 別れの悲しみ知らされ

もう私は大人 大人のつもりです

 私という字を書いて ブルーのインクで 消します

顔を見るのもいやな きらいな私です

好きならば いえばいいのに 気のない顔して 悔やんだりして

しあわせの重さ計る 秤があるならほしいの

今私はどんな しあわせなのかしら

恋は今うしろ姿で 私の前から 消えて行きます

恋するよろこびのあと 別れの悲しみ知らされ

もう私は大人 大人のつもりです」

🎵涙という字を書いて ちぎって窓から捨てます🎵

岩崎宏美の「ドリーム」にも、「愛と一つ書いただけの手紙を折って  窓から飛ばし」という阿久悠による似たような歌詞があったなぁ→宝物を発見したような気分(笑)

🎵恋するよろこびのあと 別れの悲しみ知らされ もう私は大人 大人のつもりです🎵

→映画では、桜田淳子演じる高校生梅村乃里子のプライベートを盗撮した福島清彦(黒沢年男)が偶然にも国語の先生として乃里子の高校に赴任してくる。このため、乃里子は、盗撮の償いとして、福島にバドミントン部のコーチを依頼する。乃里子は、激しい練習の中で福島の魅力に徐々に惹かれていくが、福島は、何と小料理屋「梅村」を営んでいた乃里子の母千恵(浜木綿子)との結婚を決意する。最初は、猛反対だった乃里子だったが、彼との一対一の苦しいバドミントンの試合の中で気持ちも変化していく。淡い初恋が成就することはなかったが、この失恋の経験で人間的にも大きく成長する、という展開。歌詞の内容が映画「スプーン1杯の幸せ」で具体化されている。

🎵しあわせの重さ計る 秤があるならほしいの  今私はどんな しあわせなのかしら🎵

→幸せは、大事に扱おうとしてもすぐにこぼれ落ちてしまう「スプーン1杯のシュガー」のように儚いものかもしれない。

 


桜田淳子「ひとり歩き」

〜宇宙からの音楽伝道師による異邦人を超えた名曲!〜25時/久保田早紀(1980年4月)

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1980年4月21日に発売された久保田早紀のセカンドシングル(作詞:久保田早紀山川啓介、作曲:久保田早紀)。

久保田早紀というと、デビューシングル「異邦人」(1979年10月発売)がシルクロードをテーマとした異国情緒溢れる強烈なインパクトで、オリコンチャート1位、シングルレコードの売上総数144.5万枚*と、記録的な大ヒット!80年代初頭に一躍、時の人となった。だが、「異邦人」の原曲は、久保田早紀が中央線沿線の車窓から見える風景を題材として作った「白い朝」という全くイメージの異なる曲であったことが知られている。三洋電機のカラーテレビのCMに採用する際に、アフガニスタンで撮影されたCM映像に合わせるために、歌詞やアレンジが中近東風に大幅に変更され、タイトルも、79年にジュディ・オング「魅せられて」を大ヒットさせた音楽プロデューサー酒井政利の判断で、「異邦人」と改題され、「シルクロードのテーマ」というサブタイトルまで付されたものとなった。近年、久米小百合(元「久保田早紀」)は、当時のこのような原曲の大幅な変更に、驚きと戸惑いを禁じ得なかったと話している。

セカンドシングル「25時」は、作詞こそ山川啓介との共作であるものの、全体として久保田早紀のイメージ通りに作られたものであり、「異邦人」では見られなかった久保田早紀独自の神秘的で奥深い世界観が垣間見える。

初めてイントロを聞いた時は、宇宙と交信しているようなミステリアスなメロディと思ったが、「25時」というタイトルから、深夜の1時をテーマにした曲なのかなという漠然としたイメージしか持っておらず、あまり歌詞を吟味することもなかった。改めて、歌詞を眺めてみると、なかなか難解な上に、25時に関する歌詞も出てこない。

作詞:久保田早紀山川啓介   作曲:久保田早紀

「大陸の果ての空に 銀河の光 薄れて
ゆらゆらと 麝香色の 夜明けが訪れる
突然のつむじ風が 記憶の波をかすめて
遠い日も そして今日も 忘れてしまえたら

※ああ 愛の沈黙(しじま) 時を失くした 世界にひとり
ああ まだ私は 幻 さまよう あなたの巡礼 Mm※

モザイクの壁画の中 このまま埋(うず)もれたなら
いつの日かまたあなたが 通り過ぎるかしら

紫の地平線に 神々の声がひびく
”倖せを粗末にした 報いが来たのだ”と
過ぎた日に 帰れる馬車 さがしつづける哀しみ
不思議だわ 泣いてるのよ 少女の日々のように

(※くり返し)

朝焼けの廃墟に立ち やせた影 歩ませれば
さらさらと この身体が くずれてしまいそう」

 🎵大陸の果ての空に  銀河の光 薄れて  ゆらゆらと麝香色の夜明けが訪れる🎵

 荘厳で幻想的な光景が目に浮かぶ。麝香(じゃこう)色とは、どんな色かと思って調べてみたが、「麝香色」という言葉は見つからなかった。だが、「麝香」とは、ヒマラヤ山脈,中国北部の高原地帯に生息するジャコウジカの腹部にある香嚢(ジャコウ腺)から得られる分泌物を乾燥した香料、生薬の一種なため、「麝香色」とは、ジャコウジカの灰褐色の色だろうか?香り言葉を敢えて色として表現することに、意味の深みと作詞のセンスを感じる。

🎵愛の沈黙(しじま)  時を失くした  世界にひとり🎵

「しじま」とは、「無言・沈黙」と「静寂」の2つの意味がある大和言葉。文学的な表現の「しじま」を「愛」と組み合わせて、愛の終わりを表していると思われる。さりげなく高度なテクニックが使われており、感心させられる。

🎵モザイクの壁画の中  このまま埋もれたなら  いつの日かまたあなたが通り過ぎるかしら🎵

🎵朝焼けの廃墟に立ち  やせた影  歩ませれば  さらさらと  この身体が  くずれてしまいそう🎵

共に、シュールな超現実の心象風景か?特に、愛を失くした主人公の空虚な気持ちが廃墟のイメージと重なり合う。

歌詞の「大陸の果ての空」「紫の地平線」「夜明け」「朝焼け」などの表現から、深夜1時をテーマとしたものではない。むしろ、歌詞の主人公の愛と時を失くした心の中の非現実的な世界が25時ではないのか?

この歳になって40年も前に発売された「25時」を改めて注目してみると、「異邦人」よりも遥かに質の高い楽曲に思われ、21歳当時の久保田早紀の才能の素晴らしさに驚かされる(当然、山川啓介のサポートもあっただろうが)。しかしながら、「25時」は、オリコンチャート最高19位、売上総数7.7万枚*と「異邦人」のような大ヒットにはつながらなかった。自分もそうだが、この曲の素晴らしさを数ヶ月という短いスパンで十分に理解するには至らなかったのだろう…。

*1968-1997オリコンチャートブックによる

久保田早紀は、その後、独自の世界観を表現したシングル、アルバムを複数枚発売する。だが、自分のイメージで作ったものではなく、出来にも満足していなかった「異邦人」の虚構だけがどんどん独り歩きしていく。「異邦人」並みのヒット曲を期待する周囲の重圧に疲弊して、音楽を心底楽しめなくなり、自分の音楽の方向性を見失い、僅か5年程で芸能界から引退することに。現在は、教会音楽家久米小百合」として、全国の教会でコンサートや講演の活動を続けているらしい。

デビュー当時、宇宙の話が大好きで、UFOも何度も見たことが有ると話していた頃の久保田早紀は、宇宙からの音楽伝道師のようにも思える。売れた、売れなかったという一般大衆による短期間の評価だけでなく、音楽専門家などによる長期スパンの別の評価があれば、「25時」は「異邦人」を凌駕していたことだろう。 


久保田早紀「25時」