「北へ向かって」は、1977年8月5日に発売された田中美智子の2枚目のシングル。
田中美智子と言っても、知っている人はほとん殆ど居ないと思う。小林幸子と美樹克彦のデュエット曲「もしかしてPARTII」の歌詞を提供した「榊みちこ」と言えば少しは分かるだろうか?
だが、田中美智子は、我々のような還暦過ぎのオジサン世代にとっては伝説のアイドルなのである!
田中美智子(現、榊みちこ)は、青森県青森市出身の元歌手・作詞家で、1976年7月、シングル「ひまわり君」で東芝EMIからデビュー。この「ひまわり君」、作曲はなんと「ベンチャーズ」!
ベンチャーズと言えば、60年代~70年代「ベンチャーズ歌謡」として、歌謡界を席捲した。代表曲として、100万枚を超える大ヒットを記録した和泉雅子・山内賢「二人の銀座」(1966年)、奥村チヨの「北国の青い空」(1967年)、オリコンで8週連続1位を獲得した渚ゆう子「京都の恋」(1970年)、オリコンで9週連続1位を獲得しミリオンセラーとなった欧陽菲菲「雨の御堂筋」(1971年)などがある。
1977年8月に、第2弾シングル「北へ向かって」がリリースされる。この曲は、フジテレビの紀行番組「青春紀行」の主題歌となり、田中は番組にもレポーターとして出演していたようだ。
その後、ニッポン放送の人気深夜番組「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」(土曜日25〜29時)のアシスタントに抜擢されたこともあって、「北へ向かって」は、この番組の深夜3時頃に良く流れていた。当時はラジオ深夜放送の全盛期、田中美智子の声を聞くため夜更かしをして毎週のように「オールナイトニッポン」を聴いていたことを懐かしく思い出す。当時から、「北へ向かって」の哀愁漂う切ないメロディーが心に残っていたが、後に作曲が昭和を代表する作曲家「三木たかし」と分かって納得。
また、作詞は、女性作詞家の草分け的存在「岩谷時子」。ザ・ピーナッツ「恋のバカンス」、岸洋子「夜明けのうた」、中尾ミエ「夢見るシャンソン人形」、加山雄三「君といつまでも」、園まり「逢いたくて逢いたくて」、佐良直美「いいじゃないの幸せならば」など60年代の曲が多いが、どれも皆が知っている名曲ばかり。70年代以降では、沢田研二ソロデビュー第1弾で自分の1番好きな「君をのせて」、郷ひろみのデビュー曲「男の子女の子」等の数多くのヒット曲を提供している。
さらに、最近になって知ったのだが、バックコーラスは何とオフコース!この歌がリリースされた頃のオールナイトニッポンで、田中美智子が「レコーディング中に、たまたまレコーディングスタジオを通りかかった事務所先輩のオフコースの二人にコーラスをお願いした」と恐縮しながらエピソードを話していたらしい。
再度、曲を注意深く聴いてみると、確かにこれはオフコース「小田和正」の声!!
「初めて会った 人だけど 朝市みようと 誘ってくれた
別れたくない 別れもいいわ
北へ向かって 北へ向かって旅をしよう
ここは心の ふるさとか 果てなく眩しい 青空がある
一人ぼっちが 身にしむのです
北へ向かって 北へ向かって雲が走る
明日はどこへ 泊まるかと 子供が小さな花束くれた
人のなさけに 染まる夕やけ
北へ 北へ向かって鳥が飛ぶ
灯りをつけて 友達に 手紙を書こうか 街に出ようか
なぜか今夜は 人が恋しい
北へ向かって 北へ向かって星が群れる」
失恋してみちのく地方へひとり旅をする女性が主人公。狩人の「あずさ2号」のように別れを忘れるために別の人と行く怪しげな信州ふたり旅ではない(笑)
1番は「朝市」(朝)、2番は「青空」(昼)、3番は「夕焼け」(夕方)、4番は「灯り」(夜)、と旅先での時は流れ、東北の風景と人の心の優しさに触れて、「今夜は人が恋しい」心情になっていく。
冒頭のジャケ写は、青森に多い縄文遺跡の復元だろうか?何故か「みちのく」に郷愁を感じるが、太古の昔、みちのくに日本人のルーツがあったのかもしれない。
昭和歌謡界の両巨匠「三木たかし」と「岩谷時子」による日本人の心に響くメロディーと歌詞、青空のように爽やかな「田中美智子」の声質、大物ミュージシャン「オフコース」によるバックコーラスのサポート、旅番組によるタイアップ等。。山口百恵の「いい日旅立ち」のようなビックヒットの可能性があったと思ったのだが…
しかし、ブレイクには至らず※、1978年4月にキングレコードへ移籍し「榊みちこ」に改名。同年8月、シングル「スパイラルワールド」で大きくイメチェンして再デビュー。
※オリコンチャート・ブック(1968-1997年)には記録がないため、週間チャートで100位以内に一度も入っていない。
続いて、1979年1月にシングル「I.I.YO,I.I.YO」、さらに1980年2月、シングル「日記(ポチと鶏)」リリース。
私生活では、1981年に、「花はおそかった」など60年代に多くのヒット曲を持つ歌手「美樹克彦」と結婚。1984年7月に、夫・美樹克彦と小林幸子によるデュエット曲「もしかしてPARTII」の歌詞を提供。
「もしかしてPARTII」は、第26回日本レコード大賞にて金賞を受賞する。しかし、その後、美樹克彦の弟子の女性との不倫が発覚し、1985年に離婚。
こうして振り返ると、東北の素朴さを残した「田中美智子」と垢抜けた都会人の「榊みちこ」は全くの別人のように思える。自分と同じく、昔の田中美智子のままでいて欲しかったと思っているオールドファンも多いようだ。
「田中美智子」は、自分の中で輝き続ける永遠のアイドルとして、「北へ向かって」と共に70年代の心の玉手箱にしまっておくことにしよう。