YOSHIの青春歌謡曲!!

〜青春時代に聴いた宝物の再発見〜

〜拓郎の青春の思い出までも運んでしまった街〜風の街/山田パンダ(1975年6月)

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1975年6月23日に発売された、山田パンダ(元「かぐや姫」)のシングル。本曲は、1975年に放送されたTBS系テレビドラマ『あこがれ共同隊』の主題歌として制作された。 

あこがれ共同隊

このドラマは、当時にわかに脚光を浴びはじめた東京の原宿・表参道を舞台に、現代(当時)の若者たちの青春の生きざまを描いたもの。主人公の八田広介(郷ひろみ)は、ファッション雑誌を読んで一流デザイナーを目指している。畠山竜也(西城秀樹)は酒屋の息子。不治の病に冒され、ジョギング中に発作を起こし、池にはまって命を落としてしまう(第7話までの出演)。畠山竜也の恋人役として桜田淳子がドラマ初主演。第1回には山口百恵もゲスト出演した。主題歌を歌った山田パンダも、原宿のジャズ喫茶(ペニーレイン)のマスター役でレギュラー出演。また、本曲の作曲者である吉田拓郎を始め、南こうせつ伊勢正三、イルカ、りりィ、かまやつひろし等、当時の人気フォークソング・アーティストも多数ゲスト出演した。

新御三家」と「花の高二トリオ(当時)」の夢の共演

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信じられないような豪華キャスト

出演:郷ひろみ西城秀樹桜田淳子山口百恵(第1回のみ)・三田佳子森本レオせんだみつお田中邦衛黒柳徹子長門裕之大和田伸也、・シェリー ・浅田美代子・ 高橋昌也 ・黒沢久雄 ・常田富士男山田パンダ吉田拓郎・加藤小夜子・玉川良一etc.


風の街「あこがれ共同隊」

茶店「ペニーレイン」は、『原宿ペニーレイン』

「あこがれ共同隊」の中に毎回登場する喫茶店「ペニーレイン」は、『原宿ペニーレイン』。ビートルズの曲を店名にし、常にビートルズの曲が流れ、フォークシンガーやファッション関係者、アーティストといわれる人たちが多数集まることで知られていた店だ。なお、『ペニーレイン』はその後、客層の変化などに伴い、その役割を終えたかのように1990年に閉店したが、2006年に、同じ建物内の「ライムライト」をリニューアルし、再オープンしている。

f:id:YOSHI88:20201113131455j:plain現在のペニーレイン

山田パンダ「風の街」

「あこがれ共同隊」の主題歌、山田パンダ「風の街」(作詞:喜多條忠、作曲:吉田拓郎、編曲:瀬尾一三)は、1970年代前半の人気アイドルスターなどが多数出演した話題性もあって、ヒットチャート20位以内にランクされるスマッシュヒットを飛ばした。※

また、本曲の作曲者吉田拓郎は、翌年の1976年に制作したオリジナルアルバム『明日に向かって走れ』にてセルフカバーしている。

なお、余談だが、ソロデビュー前の山下達郎は、山田パンダが歌う「風の街」のレコーディングにバックコーラスとして参加している。この時、この曲のプロデューサー・吉田拓郎にコーラスの歌唱指導をされて以来、拓郎とは一回も口を聞いたことがないと話している。

オリコン最高19位  売上枚数12.1万枚(1968-1997オリコンチャートブックによる)

作詞:喜多條忠   作曲:吉田拓郎   編曲:瀬尾一三

「道のむこうで 手を振った 大きな声で サヨナラ言った

あいつをふと 思い出す 今も元気で いるだろか

白い仔犬を 抱きあげる 君はちょっぴり 幼く見える

表参道 原宿は

なつかしすぎる 友達や 人に言えない 悲しみすら

風が運んで しまう街

 空に昇って 消えてゆく 子供の赤い 風船一つ

遠い昔の 思い出が 空にポツンと 消えてゆく

僕の名前を 呼ぶ時の 君はちょっぴり 大人に見える

表参道 原宿は

なつかしすぎる 友達や 人に言えない 悲しみすら

風が運んで しまう街

 なつかしすぎる 友達や 人に言えない 悲しみすら

風が運んで しまう街」

🎵表参道・原宿は〜🎵

 10代の頃、この曲や水谷豊の「表参道軟派ストリート」(作詞:阿木燿子・作曲:宇崎竜童、1978年3月発売)を聴きながら、東京の表参道や原宿に漠然とした憧れを抱いていた。

🎵子供の赤い風船一つ🎵

 「赤い風船」と言えば、ドラマにも出演した浅田美代子の唄を思い出すが、僕は、同じ喜多條忠の作詞で、新御三家のもう一人野口五郎が歌っていた曲を思い出した。

曲名は、「風の街」ならぬ、「風の駅」。途中に「赤いサンダル」が出てくる。以前、ブログでも取り上げた。

www.seisyunkayou.com

 🎵なつかしすぎる友達や人に言えない悲しみすら風が運んでしまう街〜🎵

吉田拓郎は、『原宿ペニーレイン』で、仲間たちと会って酒を交わし、青春や人生について語り合った。ペニーレインは、自分のちっぽけさ、無力さを理解した上で、酒を飲みながら、ちょっとだけ意地を張り通せる自由な空間だった。

吉田拓郎は、「ペニーレインでバーボンを」(1974年)で、♪原宿ペニーレインで飲んだくれている。ペニーレインでバーボンを〜♪と歌い、世の中に対する屈折した思いを吐露している。

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吉田拓郎が愛したペニーレインだったが、原宿界隈の街の変化はやたらと早く、1977年には歩行者天国が開始され、80年頃には竹の子族も誕生した。街の姿が一気に変わり、街全体がキッズタウン化してきた。

10年後の1984年に、吉田拓郎は、「ペニーレインへは行かない」という曲をリリースした。

♪懐かしさだけを追いかけたって  君の失ったものは帰らない。こぶしをふるわせバーボンをあおっても わかってもらえない切なさが残るだけ♪

 ♪僕が知っている風景はいまはもう 原宿あたりにも 心の中にもない。だから だからペニーレーンへは もう行かないよ♪

と自分の無力感を歌い、原宿の街と決別した。

還暦を過ぎた今、改めてこの曲を聴いて人生を振り返ってみると、サビの「懐かし過ぎる友達や人に言えない悲しみすら風が運んでしまう街」の歌詞が心に染み入り、懐かしさと切なさが入り混じった複雑な気持ちにさせられる。

久しぶりに表参道・原宿の街を散歩してみたが、昔よく行った街角のバーは、外資の大型店舗にビル毎建て替えられ、お気に入りの店は跡形もなく駐車スペースと化し、行きつけのレストランはコロナ禍で閉店し画一化したチェーン店になっていた。昔の頃のようなう若者たちを惹きつける何かが失われ、抜け殻だけが残った街のように思えた。

この街は、「懐かし過ぎる友達」や「人に言えない悲しみ」だけでなく、青春時代の思い出までも何処かへ運んでしまった街なのか…


山田パンダ - 風の街