YOSHIの青春歌謡曲!!

〜青春時代に聴いた宝物の再発見〜

〜宇宙からの音楽伝道師による異邦人を超えた名曲!〜25時/久保田早紀(1980年4月)

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1980年4月21日に発売された久保田早紀のセカンドシングル(作詞:久保田早紀山川啓介、作曲:久保田早紀)。

久保田早紀というと、デビューシングル「異邦人」(1979年10月発売)がシルクロードをテーマとした異国情緒溢れる強烈なインパクトで、オリコンチャート1位、シングルレコードの売上総数144.5万枚*と、記録的な大ヒット!80年代初頭に一躍、時の人となった。だが、「異邦人」の原曲は、久保田早紀が中央線沿線の車窓から見える風景を題材として作った「白い朝」という全くイメージの異なる曲であったことが知られている。三洋電機のカラーテレビのCMに採用する際に、アフガニスタンで撮影されたCM映像に合わせるために、歌詞やアレンジが中近東風に大幅に変更され、タイトルも、79年にジュディ・オング「魅せられて」を大ヒットさせた音楽プロデューサー酒井政利の判断で、「異邦人」と改題され、「シルクロードのテーマ」というサブタイトルまで付されたものとなった。近年、久米小百合(元「久保田早紀」)は、当時のこのような原曲の大幅な変更に、驚きと戸惑いを禁じ得なかったと話している。

セカンドシングル「25時」は、作詞こそ山川啓介との共作であるものの、全体として久保田早紀のイメージ通りに作られたものであり、「異邦人」では見られなかった久保田早紀独自の神秘的で奥深い世界観が垣間見える。

初めてイントロを聞いた時は、宇宙と交信しているようなミステリアスなメロディと思ったが、「25時」というタイトルから、深夜の1時をテーマにした曲なのかなという漠然としたイメージしか持っておらず、あまり歌詞を吟味することもなかった。改めて、歌詞を眺めてみると、なかなか難解な上に、25時に関する歌詞も出てこない。

作詞:久保田早紀山川啓介   作曲:久保田早紀

「大陸の果ての空に 銀河の光 薄れて
ゆらゆらと 麝香色の 夜明けが訪れる
突然のつむじ風が 記憶の波をかすめて
遠い日も そして今日も 忘れてしまえたら

※ああ 愛の沈黙(しじま) 時を失くした 世界にひとり
ああ まだ私は 幻 さまよう あなたの巡礼 Mm※

モザイクの壁画の中 このまま埋(うず)もれたなら
いつの日かまたあなたが 通り過ぎるかしら

紫の地平線に 神々の声がひびく
”倖せを粗末にした 報いが来たのだ”と
過ぎた日に 帰れる馬車 さがしつづける哀しみ
不思議だわ 泣いてるのよ 少女の日々のように

(※くり返し)

朝焼けの廃墟に立ち やせた影 歩ませれば
さらさらと この身体が くずれてしまいそう」

 🎵大陸の果ての空に  銀河の光 薄れて  ゆらゆらと麝香色の夜明けが訪れる🎵

 荘厳で幻想的な光景が目に浮かぶ。麝香(じゃこう)色とは、どんな色かと思って調べてみたが、「麝香色」という言葉は見つからなかった。だが、「麝香」とは、ヒマラヤ山脈,中国北部の高原地帯に生息するジャコウジカの腹部にある香嚢(ジャコウ腺)から得られる分泌物を乾燥した香料、生薬の一種なため、「麝香色」とは、ジャコウジカの灰褐色の色だろうか?香り言葉を敢えて色として表現することに、意味の深みと作詞のセンスを感じる。

🎵愛の沈黙(しじま)  時を失くした  世界にひとり🎵

「しじま」とは、「無言・沈黙」と「静寂」の2つの意味がある大和言葉。文学的な表現の「しじま」を「愛」と組み合わせて、愛の終わりを表していると思われる。さりげなく高度なテクニックが使われており、感心させられる。

🎵モザイクの壁画の中  このまま埋もれたなら  いつの日かまたあなたが通り過ぎるかしら🎵

🎵朝焼けの廃墟に立ち  やせた影  歩ませれば  さらさらと  この身体が  くずれてしまいそう🎵

共に、シュールな超現実の心象風景か?特に、愛を失くした主人公の空虚な気持ちが廃墟のイメージと重なり合う。

歌詞の「大陸の果ての空」「紫の地平線」「夜明け」「朝焼け」などの表現から、深夜1時をテーマとしたものではない。むしろ、歌詞の主人公の愛と時を失くした心の中の非現実的な世界が25時ではないのか?

この歳になって40年も前に発売された「25時」を改めて注目してみると、「異邦人」よりも遥かに質の高い楽曲に思われ、21歳当時の久保田早紀の才能の素晴らしさに驚かされる(当然、山川啓介のサポートもあっただろうが)。しかしながら、「25時」は、オリコンチャート最高19位、売上総数7.7万枚*と「異邦人」のような大ヒットにはつながらなかった。自分もそうだが、この曲の素晴らしさを数ヶ月という短いスパンで十分に理解するには至らなかったのだろう…。

*1968-1997オリコンチャートブックによる

久保田早紀は、その後、独自の世界観を表現したシングル、アルバムを複数枚発売する。だが、自分のイメージで作ったものではなく、出来にも満足していなかった「異邦人」の虚構だけがどんどん独り歩きしていく。「異邦人」並みのヒット曲を期待する周囲の重圧に疲弊して、音楽を心底楽しめなくなり、自分の音楽の方向性を見失い、僅か5年程で芸能界から引退することに。現在は、教会音楽家久米小百合」として、全国の教会でコンサートや講演の活動を続けているらしい。

デビュー当時、宇宙の話が大好きで、UFOも何度も見たことが有ると話していた頃の久保田早紀は、宇宙からの音楽伝道師のようにも思える。売れた、売れなかったという一般大衆による短期間の評価だけでなく、音楽専門家などによる長期スパンの別の評価があれば、「25時」は「異邦人」を凌駕していたことだろう。 


久保田早紀「25時」